芥川賞と生チョコケーキ

芥川賞受賞作の「おいしいごはんが食べられますように」を少し前に読んだ。感想、吐きそうになりました。大袈裟でなく何度かえずきながら読了した。とてもいい作品だったので家族にも勧めたら、同じように具合を悪くしながら読了した。

芦川さんのような人が本当に苦手で、実際に同じ職場にいたら目の敵にする自信がある。はじめは外見の良さと愛嬌にやられてメロメロになっているかもしれない。私は容姿の優れた女性に弱く、多少困った目に遭わされても「まあ美人だ(かわいい)からいいか…」と許してしまう。こんなに扱いやすい人間もそういないだろう。ではどこからが目の敵にするラインか考えてみると、「こいつ、私をいいように利用してやがる」と感じたときだろうか。だからどんなに見目が良くとも利己的・自己中な振る舞いが度を越すと敵視するのだ。まあこれは大抵の人がそうだと思っている。

だけど同時にひどく羨ましいのは、芦川さんのような人種が自然とやってのける世渡り術を自分には実践できないと分かっているからだ。過度なボディータッチを許したり、どうでもいい人にもにこやかに接し、恋人のお世話をかいがいしく焼いて、職場に手作りお菓子を持っていく。並のスキルではない。というか前提として私はコミュ障である。コミュ障が突然そんなことをやったら間違いなく皆は恐ろしさのあまり腰を抜かすだろう。そして私も恐ろしさのあまり腰は抜かすし泡も吹いて失神するだろう。芦川族は天性のコミュ力と確かな実績が備わっているから芦川族たるのだ。他にも芦川族について言いたいことは山ほどあるが割愛する。

何の話をしたかったんだっけ?

そうそう、私にはお菓子作りの得意な友人がおり、先日も手作りの生チョコケーキをいただいた。たいへん美味だった。どのくらい美味かと言うと、私はケーキ1ピースなら30秒もかからず完食するのだが、5分以上かけて味わったぐらい美味だった。芦川族は苦手だが、気心知れた友人の作るお菓子は無限に食べたいです。お菓子に罪はないのに不思議だね。不思議でもないか。当たり前か。

名誉のために言いますが、食べ物を粗末にするのが生理的に無理なので芦川族からもらったお菓子も普通に食べます。これもSDGsと胸を張れる時代。

コミュ障、美容室との因縁

小学校高学年だった私は、母の行っていた美容室へ初めて一人で髪を切りに行った。田舎町の住宅街にある、おばさまが個人でやっている美容室である。初対面の年上の人とろくに話せない私は、「どんな感じにする?」と聞かれてうまく答えられず曖昧に笑った。

「ニコニコ笑いよってもね、何も分からんよ」

手厳しい。幼い私はここで一度美容室の洗礼を受け、コミュ障スキルをアップすることに成功した。ちなみにその後何と言ってどんな髪型にしてもらったか全く覚えていない。

 

成長した私は若者向けのオシャレな美容室へ足を運んだ。オシャレな空間でオシャレな男性にオシャレな感じにしてもらった。はずだ。というのも全く記憶にないので詳細が書けない。でも行ったからには何らかの何かを施してもらったに違いない。

 

それから何年か経ち、友人の親戚がやっているという美容室を紹介してもらった。すばらしい人だった。友人経由なのである程度始めから打ち解けて話せたし、それでなくとも気さくで明るく、私のような陰キャコミュ障にも同じ目線で会話をしてくれた。もうずっとここに通おう。その決心通り、今もその人にお世話になっている。

 

ただ一度だけどうしても急用で当日中に髪を切らなければならなくなり、近所のオシャレ美容室に駆け込んだことがある。当日ではあるが事前に電話をし、大丈夫だと言うので言われた時間に入店した。ものすごく待たされた。飛び込みだから仕方ないと思って待っていると、美容師はランクがあって料金も異なる、誰を指名するかと聞かれた。は?なんだそれ。じゃあ最低ランクの人に頼んだらどんな髪型になるんだ。全部バリカンでいかれるのか?最高ランクの人は?カットしながらフランス料理とか食べさせてくれるのだろうか。全く理解が追いつかないまま「誰でもいいです」と言ったような気がする。そして若い兄ちゃんが担当になった。兄ちゃんはヘラヘラと若者のノリで他愛もないことを喋り、私はコミュ障のお手本のような返事を弱々しく放った。ほどなくして会話は途絶えた。当然である。兄ちゃんは若者ノリを求め、私はコミュ障用の応対を求めた。二人の道は分かたれた。隣の席では若い女の子とイケてる風の男性美容師が恋人同士よろしく楽しげに会話している。悪いな、私の担当になっちまった兄ちゃん。でもいい社会経験になっただろう?世界は君を中心に回っているわけじゃないんだ。接客業ならあらゆるタイプの人といい感じの空気を作れるよう精進しな。私は自分のことを棚に上げて心の中で説教した。シャンプーへと工程は移り、場所が変わったことで兄ちゃんが再び会話に挑む。確かその日は金曜だった気がするが、明日はお休みですか?そうですね、といったやり取りだ。僕も明日休みなんですよ。嬉しげに兄ちゃんが言う。

「いいですね。じゃあもう今日はテキトーにやって早く仕事終われーみたいな?」

コミュ障は一生懸命返しやすいであろうコメントをする。そんなことないっすよ、ちゃんと最後までやらせてもらいますよ。そんな返事が来るだろうと考えていた。

「そうっすね!!」

ふざけるな。いつから冗談を言い合えるほどの間柄になったんだ我々は。まさかシャンプーを流さずに「はい終わりです」とかほざくんじゃあるまいな。私は今日バイクだぞ。凍りついた私をよそに兄ちゃんは言葉通りテキトーに残りの工程を済ませ、私は会計へ追いやられた。仕上がりの割にえらく高かった気がする。勉強代だと思って支払い、一刻も早く帰ろうとしたその時。

「次回のご予約はどうされますか?」

時が止まった。なんという商魂。次もテキトーな施術をテキトーランクの美容師にされに来いとは恐れ入る。私は気弱なコミュ障であったが、時間とお金の大切さは充分理解していた。だから振り絞った。「また連絡します」バイクで逃げ帰った。無論二度と行くつもりはない。

先述の美容師さん、いつもお世話になっております。これからも末永くよろしくお願いします。

すぐ泣くし、すごく泣くし

たいへん涙もろい。

家族や親しい友人はもう慣れてくれたようだが、本当にびっくりするぐらいすぐ泣く。そういう自分を演出したいわけではない。泣かずに済むならそうしたい。

分かりやすい例として、『劇場版 岩合光昭の世界ネコ歩き コトラ家族と世界のいいコたち』という映画を観に行ったら開始2秒で号泣してしまった。雪の中を猫がこちらへ歩いてくるシーンである。友人に話すと「なんでだよ。猫が歩いてきただけだろ」と爆笑された。私もそう思う。冬景色の映像美と猫のいのちの輝きに涙が溢れてしまったのだが、それにしても映画冒頭で引くほど泣くのは正しい鑑賞姿勢から遠い気もする。他の鑑賞客を怖がらせてしまうだろうし、せめて静かに涙ぐむほどにとどめておきたい。ちなみに『チョコレートドーナツ』では本当に脱水になるんじゃないかと思うぐらい号泣し、上映終了後もしばらく立ち上がることができなかった。

NHKのDear にっぽんも毎回泣くし、なんなら再放送でも泣く。小説だと辻村深月の「タマシイム・マシンの永遠」で号泣し、恩田陸の「私と踊って」も何度も読んでひっそり泣いた。断っておきますが全然読書家ではないのでたぶん何読んでも泣きます。

特に近年は深い愛情で結ばれた家族や人と動物なんかは本当に駄目で、明るい内容であればあるほど「いつか彼らにも永遠の別れが訪れてしまう」と思ってさめざめと泣くのだ。たぶん年を取って近しい人との別れを経験し、その悲しさとやるせなさ、寂しさを身を持って知ったからだろう。想像力は人よりある方だと自負しているので、ありとあらゆる場面を勝手に思い描いてはどんどん泣く。迷惑な人種であるが、心の勝手な動きゆえ容赦してほしい。

ちなみに、数年前に祖父が亡くなったことも全く心の整理ができていないので別の機会にきちんと書くつもりである。というかそれを書きたくてブログを始めたようなものだ。

重症だと思ったのは家族の好きなアーティスト(私はよく知らない)がスタジアムでライブをしている映像を見て泣いたことである。歌に感動したわけではない。アーティストの後ろで演奏するオーケストラや立派に組まれたステージ、機材を見て「たいへん多くのスタッフとミュージシャンが時間をかけてこの場を作り出したんだな」と思って涙を流した。家族に話すと困惑していた。誰目線なんだ。万物の保護者か。私も知りたい。

友人の結婚式で開始早々泣きすぎて、他の出席者(友人)が爆笑しながら泣き腫らした私を写真に撮ったこともある。新郎新婦も笑っていた。もはや芸の域かもしれない。でも決して「泣いたるで〜!!」と意気込んで泣いているわけではない。天賦の才…ということか。あれ、俺またなんかやっちゃいました?

繊細ヤクザ、SNS時代の終わりを待つ日々

※香ばしいので後で消すか直すかもです

 

SNSがほとんど閉鎖的なコミュニティだった頃に比べると、今は逆に使っていない人が珍しいぐらい発展してしまった。ダイヤルアップ接続時代からインターネットの海を泳いでいる私はその変わりようにただただ「ほげ〜」と眺めることしかできない。

思春期の私はお絵描きBBSで見も知らぬ他人に自分の稚拙な絵をパクられて「なぜもっと上手な絵を真似しないんだ」とショックを受けた。現在もトレパクや盗作は悲しいことにあちこちで行われており、インターネットで出くわす悪意はそう変わっていない気もする。

 

話題のTwitterも以前は平気で好き勝手呟けていた。今はイマジナリークソリプが怖くて一切呟いていない。誰もお前のツイートなんて見ねえよ、と思うだろう?昔はそうだった。タイムラインはフォローしている人のツイートだけが淡々と流れていた。今は頼んでもいないのに一切関わりも興味もない分野の知らない人のツイートが轟々となだれ込んでくる。通知が来て「いつも応援して下さっている皆様へ。」と表示される。誰なんだあなたは。応援どころか今初めて名前を見たのに、いきなり重大な報告をされても困る。次第にTwitterの通知ポップアップはまとめて右へスライドするようになった。

一番心が疲弊するのは、個人のお気持ち表明ツイート(※とてもバズっている)である。私は何を隠そう繊細ヤクザなのだが、繊細な人が満を持して発表した「こんな人間or社会は最低」という糾弾系ツイートを見るとがくりと膝をついてしまう。どうしてそんなに、憎しみと怒りを鋭利な言葉でぶちまけられるんだ。そんなにも辛い思いをしてきたのか。ならばそれが気の毒でならないし、繊細ヤクザとしてはその怒りの対象が自分のような愚かな人間に向いているように思えてならないのだ。こんな言葉を言われた。女性としてとても傷付いた。こんな扱いを受けた。男性として理不尽に思う。共感を示す「いいね」の数が多ければ多いほど、その攻撃力は増す。私はすべてのバズツイに書かれた言葉やエピソードを書き留めて、それを地雷として記憶し、決して自分が誰かにそのようなことをしてしまわないように注意しなければならない。もしやってしまったら、その時点で私はもう多くの人から軽蔑される存在となるのだ。なんと恐ろしいことだろう。社会から抹殺されるかもしれない恐怖と隣り合わせの毎日は、生きた心地がしない。

だからコミュ障が加速したのかもしれない。職業を聞けば個人情報を軽々しく聞くなんて無神経だと怒らせるかも。年齢、出身地、恋人の有無、未婚か既婚か、一人暮らしか実家住まいか、趣味、好物、苦手なもの、どれを聞いても地雷になり得そうで何も聞けない。性別ですら見た目通りに受け取ることはできなくなってしまい、男性あるあるも女性あるあるも言えなくなってしまった。なんと難しい世の中なのか。本当に天気の話しかできないのではないか。それすら何かしらの地雷になりそうで怖い。

無論明らかな悪意や差別には毅然と立ち向かうべきである。私もそうしたい。だけど、そんなつもりで言ったのだろうかその人は、と思う内容もよく見る。何も深い意図なく放った一言に、それほどまでに傷付き悲しまないでくれ。寛容であることは罪なのか?自分は一度も人を傷付けるような失言をしたことはないのか?君を許そう、だから私も許してくれ。お互いに一発ビンタであとはひしと抱き合ったのでは駄目か?そんなに大勢の「味方」を引き連れて、私を完膚なきまでに叩きのめさなければ、未来永劫私は君に許されることはないのか?繊細ヤクザは短く脆いナイフを構えてブルブルと震え、今日も見えない敵と闘っている。

私は過去に山ほど失言をしているが、いずれも相手に平謝りに謝り撤回や訂正をしている。だからもし相手が失言しても、そうしてくれたら許したいと思っている。失言を肯定している訳ではない。人間ができていればそんなことは滅多にしない。できるまでの過程にたまたま立ち会ったんだと解釈してくれたら、人として長い付き合いができるのではないかと夢見ているのです。甘えですかね。

失敗しました

早寝チャレンジの話です。知ってた。でもこれ書いたらすぐ寝ます。

今日はとりとめなく書きます。

 

・前にも書きましたが喘息のため毎日薬を吸入してます。ただ一日で一番咳が出るのが吸入したときなんだよなあ。合ってる?この生き方

・猫にベッドを買ったけど、部屋を覗くと常に一瞬で足もとへ飛んでくるので使っているかどうか確認できないのが悩み(ドアの前に立った時点で走ってくる)

・私がスポーツ中継を見た瞬間に選手がミスをしたり点を取られることがあまりにも多い。なのでなるべく見ないようにしている

・冬になると脇の下がものすごく痒い。寒くなると汗に特殊な成分が発生しているのだろうか?

ニトリでてっぺんから薪で割りましたみたいなクリスマスツリーが売られていてめっちゃ頭いいなと思った。壁にくっつけて置ける

・若くてかわいい女性と話すときが最もコミュ障を極めており、歯医者や何かしらの手続きでそういう人にあたった場合のパニック具合がすごい(これについてはまた書きます)

・味噌汁は健康面から考えると夕食ではなく朝、昼食に出す方がいいらしい。夕食での味噌汁が大好きなのにどうしろと言うのだ。ちなみに朝は気力と時間がなく作れない

 

とりとめない回は今後もちょくちょくありそうな気がします。おやすみなさい

夜が更けて、私は老ける

いつからか早い時間帯に眠ることができなくなり、完全に夜ふかし人間となってしまった。大体二〜三時に就寝している。主な原因はネットサーフィンだが、昼間はできないので仕方ない。何度か日付が変わる前に無理やりベッドに入ったこともあるが、入眠できたのはいつもの時間になってからだった。体が日々のルーティーンを変えることを拒んでいる。早く眠りにつけた時もあったが、背中の痛みで目が覚めてしまい朝までぐっすり、は叶わなかった。習慣化と老化のダブルパンチでにっちもさっちもいかない。

日中しっかり活動しましょう。三食をバランスよく食べましょう。寝る前はスマホやPCを見ないようにしましょう。しっかりと睡眠をとることで、様々な体の不調が改善します。

存じておりま〜〜〜〜〜す!!!!!ありがとうございま〜〜〜〜〜す!!!!!それができたら苦労しませ〜〜〜〜〜ん!!!!!笑顔で床に転がり泣きながら暴れ、そう叫びたい気持ちだ。勝手に追い詰められている。自分で実行するしかないのに、誰かにやってほしくてたまらない。私の代わりにトイレ行ってきてよ理論である。

以前Twitterで好きなことや息抜きをできないまま一日が終わるのを許せなくて夜ふかしする、これも自傷行為の一つ…といった内容のツイートを見た。ものすごく腑に落ちた。そういえば学生時代からそういう理屈で夜ふかししまくっていた気がする。自由な時間と若さと体力が有り余っている生き物の時分からそんなことをほざいていたのだから救いようがない。

しょっちゅうしている妄想。私は一人暮らしを満喫する社会人で、朝は早起きしてストレッチやウォーキングをし、優雅に朝食を作って食べ、晴れやかな気持ちで出勤し、爽やかに仕事をこなし、定時で帰宅をし、手の込んだ夕食を作って食べ、ネットサーフィンやその他趣味を満喫し、日課の運動をし、ゆっくり読書をしつつ半身浴をし、ゆったりした気持ちでヨガをして、日付が変わるずっと前に眠る。そんな毎日を送っているのでいつも肌はピチピチ、体型も健康的、笑顔は明るくコミュ力も高い。実家は金持ちで幼馴染の婚約者はいるし趣味はアウトドアとインドア合わせて30ぐらいあるし損得なしで付き合っている素敵な友人も50人いるし服のセンスもよければインテリアもオシャレで字もきれいならYouTubeチャンネルの登録者も100万人だしSNSの総フォロワー数なんて300万人だしかわいい猫も飼ってるしタワマンに住んでる。早寝早起き、最高〜!

そんなことを書いていたらもう今日なんて四時だ。寒いしなんか脇腹も痛い。ヤケを起こさず明日から早寝早起きチャレンジやってみます。たぶん失敗します。

最後の力を振り絞って憧れの高校へ行こう

人から同じ話を繰り返し聞かされるうちにすっかり内容を覚えてしまう、というのは誰しも経験があるだろう。

今日は私が父から何度も聞いた他人の名言をここに記しておこうと思う。

 

「ふん、お前のために避けてやったんじゃないんだ」

誰:現場仕事の移動中に運転していた同僚

何:別の目的で停車すると脇道から合流したがっていた車に割り込まれた

 

「食べられるよ」

誰:横浜のお年寄り

何:浜辺を訪れた若き日の父が貝をとっているお婆さんに「バアさん、それ食えるんけ?」と尋ねて返ってきた台詞。地方出身の父は高齢者が東京弁を話すギャップに驚いたあとツボにはまった

 

「悪いこともえーせんしからのう」

(訳:悪事なんてそんなこと、とてもじゃないけどできませんよ)

誰:昔の高校生

何:父の高校時代、ヤンチャしてる生徒が自分たちについて語った台詞。寝言は寝て言え

 

「スイカ嫌いよ!腹壊す!」

誰:大昔、父の職場にいた上司

何:皆でスイカを食べることになり、部下からすすめられて放った一言

 

「ジュースいらん!水の方がええ」

誰:同上

何:皆でお茶休憩をすることになり、上司の奥様からジュースを出されて放った一言

 

「利彦、もうこらえてくれや…」

誰:父の友人、利彦(仮名)の父親

何:若き日の父はバンドマンであった。夜遅くまで利彦の家でメンバーが楽器をかき鳴らす行為に耐えかねた父親は疲労困憊で懇願した。利彦は無視した

 

「わ〜い、おみやげおみやげ」

誰:父の友人

何:何か嬉しいことがあった時に発されたフレーズ。元ネタがあったような気がするが忘れた

 

「あれ、みんな飲まないの?飲めばいいのに」

誰:父の先輩

何:若き日の父が現場仕事のアルバイト中に先輩が「何か冷たいものでも飲もう」と言った。父を含む若者たちは奢ってもらえると解釈して「わーい飲もう飲もう」とこぞって自販機へ。先輩は自分のジュースだけを買って一人で飲み干した。呆然とするアルバイト達を不思議そうに見ながら放った一言

 

「通る!!」

誰:父の兄が通った高校の教諭

何:父の兄が○○大学を受験しようと思う、と相談するなり飛び出た力強い言葉。そして実際に合格した

 

「最後の力を振り絞って憧れの○○高校へ行こう」

誰:父の中学時代のクラスメイト

何:卒業文集のテーマは夢(目標)であった。あまり成績が芳しくない彼の作文はこのフレーズで締めくくられていた。ちなみに○○高校はまったく進学校ではない

 

また思い出したものがあれば追記していきます。父の出会った人々よ、貴方たちが何気なく放った言葉は時を超えて今も生きています。見も知らぬ私の中で。