コミュ障としごできギャルの相性について

聡明で寛容なギャルが引っ込み思案なオタク君といい感じになる2〜4ページ漫画、Twitterなどで一度は見たことがあるのではなかろうか。私は体感100回は見た。確固たる「自分」を持ち、だが相手への深い理解を忘れない心やさしいギャル。そんなんおったらええよね。一瞬で恋に落ちるよね。現実でも自分と住む世界が違うと思っていた人とふとしたきっかけで距離が縮まると驚きつつも嬉しくなることだろう。しかしこういったギャル♡オタク君漫画のような都合のいい展開というか、不自然なほど自然と仲良くなる描写は如何なものかとも思う。現実でそんなこと、ありえるか?と野暮なことを考えてしまうのだ。

少し前から新しい職場で働きはじめた。コミュ障、社会復帰の巻である。当然毎日が辛い。この職場で自分が一番人間として劣っているに違いないと思いながら仕事をするので毎秒挙動不審である。誰とも一秒以上目を合わせられない。気疲れが度を越している。時給5万円欲しい。

具体的な業務の説明や指示をしてくれる社員がいる。年下のギャルである。隙のないまつエクとネイル、かわいいケースに入ったiPhoneとストーンでデコられたアップルウォッチ。聡明で美しく、仕事ぶりは完璧。Twitterで見たギャルだ!進●ゼミキッズばりに私は興奮した。

しごできギャルと心の中で呼び、毎日業務を教わった。やってみて、と言われて私が作業をする様をじっと見ている。人に見られながら何かをするのがとんでもなく苦手な私は過度の緊張からありえないミスを連発した。ギャルは改善方法をアドバイスしてくれた。心中ではきっと「コイツ歳だけ取ってるタイプか、使えねー」と呟いていただろうに、おくびにも出さない態度に感服した。しごできギャル、ありがとう。

日が経つにつれ、私は一人で業務にあたる日が増えてきた。当たり前だ。私はひとり立ちしなければならないし、ギャルは忙しいのだ。少し寂しく思いつつ、しごできギャルと話すときは異常に緊張するので少し安堵もしていた。コミュ障の特性なので、ギャルが嫌いとか苦手というわけでは断じてない。あの華やかな顔を直視できず挙動不審になる自分にもほとほと嫌気が差していた。

そうこうするうちに、ギャルは異動となった。私は驚いたが、元々決まっていたらしい。今の課で最後に接した新人が自分のようなコミュ障で申し訳なく思う。送別会ではまさかの隣の席で生きた心地がしなかったが、目が合うたび完璧な笑顔で「美味しいね。鈍田さんももっと食べな?」と料理をすすめてくれた。あの笑顔の10分の1でも自分にあったなら、もっと生きやすい人生だったに違いない。私は胸が苦しくなり、地を這うような声で「異動しないで……」とこぼし、ギャルはやっぱり完璧な笑顔で「もう内示出たから無理だわ〜」と返してくれるのであった。優しいしごできギャル。これってTwitterで見たやつじゃね?

今年の総括

前回の記事からしれっと一か月経ってて戦慄しました。どうにも体がしんどくて今日は寝よう、今日も寝ようを繰り返すうちにこうなっちゃったってわけですよ。仕方ないよ人間だし。永遠の若さが欲しいよ。

 

今年は確か年明け早々家族から腸炎をもらって救急に駆け込んで幸先のいいスタートだった気がします。ちなみにコロナ対策で窓という窓が開け放されていたので点滴を打ちながら凍えてました。腹痛よりも寒さで死ぬかもと恐怖してた

2月は職場で産前休暇に入るため仕事が大詰めだった気がします。いつの間にか「長くいる人」になっちゃってたらしく最後の出勤日に花束貰えて嬉しかった

3月の記憶はあんまりない。日に日にお腹がこれ以上は膨らまんだろうを更新するので怖かった

4月上旬、腹痛があり病院へ。切迫早産となり緊急入院。まさかそれから一か月家に帰れなくなるとは…

5月、双子が誕生。即NICUとGCUへ入院。私自身は産後数日してHELLP症候群になりかけてICUへ。以降現在までどこかしら体調の悪い日が続いてます。双子は元気なのでOKです(サムズアップ)

6〜12月、双子のお世話に追われる。

こんな感じの一年でした。初産でMDツインというちょっとレアカードを引いてしまい色々ありましたが無事家族が増えて嬉しいです。双子妊娠出産についてはまた詳しく書き残していきます(何かあったら怖いのでリアルタイムで記録と公開ができなかった)。なぜなら自分自身が妊娠中いろんな双子妊婦さんの体験記を読んで励まされていたから…

なぜ日記を始めた当初に出産関係のことを書かなかったのかというとまずコミュ障関連の内容を書きたかったからです。あとどう書き出せばいいのか分からなかった。さすがコミュ障

 

毎日更新は難しくとも来年も記事を増やせたらいいなと思ってます。誰の目にも触れていなくても大丈夫、自己満足なので。でも読んでもらえたら一層嬉しくもあるこの気持ち…

良いお年を。来年もよろしくお願いします。

冬がはじまるよ

天気予報でもうすぐえらい寒くなりますと言っているので緊張してきた。冬は用意するものがたくさんある。ファンヒーター、ハロゲンヒーター、加湿器、レッグウォーマー、ネックウォーマー、アームウォーマー、USBゆたんぽ、冬用パジャマ、フリース、毛布、ブーツ、コート、手袋、カイロ、耳あて、その他。夏より冬が好きだがいかんせん体が高齢者よりも頼りないので充分あたためないといけない。何より運動して体力をつけないといけない。運動してお腹が空いたら鍋したい。もつ鍋したい。こたつを導入したい。死ぬまでに一度はこたつで鍋をつつきたい。鍋が終わったら優しい誰かが全部片付けてくれてるのを横目にこたつで横になってダラダラしたい。鍋の前に風呂は済ませているのであとは歯を磨いて寝るだけだ。足もとがヒーターで暖められた洗面所で歯を磨きエアコンと加湿器がフル稼働している寝室へ行き事前に乾燥機をかけて楽園のようになったふとんへ潜り込み眠りたい。誰か〜。お願いしま〜す。もう冬が来てしまうんです〜。助けて〜。

禁断症状とか出るの?

皮膚科へ行くと症状の改善が見られないので薬を変えましょうとのこと。やった〜今飲んでる薬とはオサラバだ〜いと内心喜んでいたら「この薬は急に飲むのやめちゃうと体に影響あるんでまずは半量にしましょうね」と引き続き処方された。えっもしかして私クスリ漬けにされてる?

花粉症じゃないです、アレルギーもないですと100回は言ってきた人生

以前書いたが私はプロ鼻炎(10年以上鼻炎に苦しむ者)である。ひどい状態(発作と呼んでいる)では鼻水が濁流の如く溢れ出し、大きなくしゃみは30秒に一回出る。マスクの下は一瞬で大洪水となり、どう節約してもティッシュは二日で一箱使い切ってしまう。やがて顔面が痛くなり日常生活もままならなくなる。口呼吸のため喉は乾燥し脳に酸素は行き届かず思考力は低下、体が動かず屍のように横たわり気絶するまでがセットだ。大袈裟に言っていると思われるかもしれないが、同じく鼻炎に苦しむ人には共感してもらえるだろう。

病院には同じ年月通い続けているが、飲み薬も点鼻薬も気休めにしかならず、根本的な解決には至っていない。レーザー治療も全く効果はなかった。医者からは鼻炎と死ぬまで付き合うだろうと言われている。こんな伴侶はいやだ。発作は気圧の変化や季節の変わり目に多い気がするが、これまで調子の良かった条件で起こることもあるため油断ならない。大切な予定のある日に鼻が爆発したらどうしよう、と怯える毎日である。どんな大切なことをする時も鼻の不調で集中力が九割削がれるので死活問題なのだ。現に何度も仕事に支障をきたしたし、もう飲食関係の職には就けないだろうと諦めている。

コロナ禍に突入してから生きづらさが格段にアップした。くしゃみをする度、鼻をすする度に罪悪感を感じ、人の目が気になる。ちなみに喘息も発症してからは「喘息です」と書かれたチャームをマスクにつけているが、よっぽど至近距離でないと見えないのでアピール力は低い。マスク全面にでかでかと「鼻炎です 殺さないで」と書くべきか未だに悩んでいる。そういえばコロナ禍当初はマスクや紙製品が品薄となったが、あの時もたいへん苦労した。手持ちのマスクが減るのにあわせて社会的な死が迫りくるのに恐怖した。安定して手に入るようになり心の底から安堵している。

これからも私はこの厄介な発作と共に生きることが確定しているため、もしもランプの魔人が現れたら「この世から鼻炎をなくしてくれ」と願うだろう。鼻炎に花粉症も含めてくれたらより多くの人を救えるなグフフと日々妄想している。

余談だが「モンテルカスト」を複数の看護師さんが「モンテカルスト」と言っているのを聞いて私もどっちが正解だったか迷うようになってしまった。薬の名前、ややこしいですね。

超!エキサイティン!!

今日もとりとめなく。

・ワールドカップで世間は盛り上がっている。自分の好きなスポーツが世界的な大会を開催するほどメジャーなのってどんな気分なのだろう。やっぱりにわかサポーターには厳しい視線を向けるのだろうか。ちなみに私はサッカーの細かいルールがよく分かっていない(ボールを相手のゴールにシュゥーッ!!することは分かる)。アニメ「アオアシ」は観たが、主人公の伊予弁のイントネーションに気を取られて試合内容や技術はよく分からなかった。私は愛媛県人です

・大相撲熱が再燃している。中学生の頃は星取表を書くほどハマっていたが、歳を重ねるにつれ見る時間がなくなり遠ざかっていた。今年は久々に各場所リアタイできていて楽しい。いい取組だと勝敗が決まったら歓声を上げて小躍りしている。サッカー好きな人もこんな感じで観戦しているのだろうか

・入浴時に使っていたタブレット端末がとうとう寿命のようだ。100%充電していても動画を何本か見ると90%ぐらいなのに突然シャットダウンする。家族と新しいものを買おうと話しているが、防水のってやっぱり高価ですね。二の足を踏んでいます

・すぐ泣くと先日の日記で書いたが、うっかり金ローのヴァイオレット・エヴァーガーデンを観てしまい案の定号泣した。子どもが辛い目に遭うのが本当に無理なので… ただヴァイオレットと会うことを拒む少佐には「お前が始めた物語だろが」と思ってしまい涙が引っ込んでしまってなんだかすみません

・私がFit Boxing2をやっている後ろで夜食のラーメンを堪能する家族にいつか仕返しをしようと考えている

おやすみなさい。

いいよな、中二病

中学生頃の思い出話です。特にオチはないです。

思春期の私はしっかり中二病だった。好きな漫画のキャラ、ゲームのキャラに本気で惚れ込んだ。ありあまるエネルギーを二次創作にぶつけた(ちなみに小学生の頃はポケモン未プレイにも関わらずロコンに恋するリザードンという内容のラブコメ漫画を描いていた。今思うと傑作だった気がするので実家にまだあるなら発掘して読みたい)。

そんなエネルギーの塊がインターネットという無限の可能性に出会ってしまうとどうなるか。父を説得してプロバイダ契約をしてもらい、拙いHTMLでホームページを制作して公開した。自分のホームページを持つ中学生などそうそういまい、と謎の優越感に浸った。同じクラスの頭が良くて優しい女子に自慢すると、「私もホームページ作ってるよ!」と返ってきた。閲覧して驚愕。かわいらしい画像をかわいらしく配置した、フォントも小さめでオシャレなホームページ。大人が作ったものと遜色なかった。自分の稚拙で中二病全開のくっさい文章と絵が並ぶそれが恥ずかしくてたまらなくなり、以来二度とホームページを持っているなどと人に言うことはなかった。それまで自分を包んでいた謎の万能感も薄れていった。彼女に感謝である。

それでもエネルギーがありあまっていたので廊下を走ったりしていた。親しい友人らの前では調子に乗った言動を繰り返し、本当に痛々しい人間だった。同学年は成績優秀で人柄のいい生徒が多く、調子に乗った中二病を無視したりする人はいなかった。不幸中の幸いというべきか、恐るべき強運の持ち主というべきか。

学校でエネルギーを発散しすぎて、帰り道に力尽きることがしばしばあった。ド田舎の過疎化が進む集落に住んでいたこともあり、道端でスポーツバッグを枕に寝たり、神社で長々と休憩したりしていた。家までの道のりの終盤はきつい上り坂の連続なのだが、それが嫌すぎて友人と何時間も話し込むこともしょっちゅうであった。帰宅して夕飯を食べると元気になった。そしてまた二次創作やホームページ制作に勤しんだ。ダイアルアップ接続のため固定電話が使えなくなるので深夜に集中してPCに向かった。IEで好きなホームページを閲覧し、ブックマークに登録し、気に入ったイラストや小説はフロッピーディスクやCD-Rに保存したりプリントアウトしてクリアファイルに綴じた。あっという間に夜型人間になり、視力も落ちた。それでも楽しく充実した日々だった。

嫌な思い出などほとんどない。強いて言えば、当時学年で一、ニを争う浮きっぷりの個性派クラスメイトが私の友人に告白して玉砕した。その際「鈍田はどう?良い奴だよ」と友人が言うと「いや、鈍田はうるさいじゃん。騒がしい人って苦手なんだよね」と即レスされたことぐらいか。自分が知らない所でどうでもいい奴に振られたのは後にも先にもこの時だけである。うるせえよ。私も願い下げだよ。万が一再会した時は言ってやろうと心に決めている。

人は調子に乗っていた頃を「黒歴史」と言うが、私は一周回っていとおしい歴史だ。もちろん頭を抱えたくなるエピソードも多いが、好きなものや楽しいことにエネルギーをすべて注ぐことができたのは素晴らしいことだ。今はできない。まずエネルギーが当時100リットル/日だとしたら今は20cc/日ぐらいしかない。年を取り、環境も状況も変わったから仕方ないけれど、それでももし願いがなんでも叶うならあの頃のように100リットル/日を使い切るような日々を過ごしてみたいものである。若さって最高〜。