すぐ泣くし、すごく泣くし

たいへん涙もろい。

家族や親しい友人はもう慣れてくれたようだが、本当にびっくりするぐらいすぐ泣く。そういう自分を演出したいわけではない。泣かずに済むならそうしたい。

分かりやすい例として、『劇場版 岩合光昭の世界ネコ歩き コトラ家族と世界のいいコたち』という映画を観に行ったら開始2秒で号泣してしまった。雪の中を猫がこちらへ歩いてくるシーンである。友人に話すと「なんでだよ。猫が歩いてきただけだろ」と爆笑された。私もそう思う。冬景色の映像美と猫のいのちの輝きに涙が溢れてしまったのだが、それにしても映画冒頭で引くほど泣くのは正しい鑑賞姿勢から遠い気もする。他の鑑賞客を怖がらせてしまうだろうし、せめて静かに涙ぐむほどにとどめておきたい。ちなみに『チョコレートドーナツ』では本当に脱水になるんじゃないかと思うぐらい号泣し、上映終了後もしばらく立ち上がることができなかった。

NHKのDear にっぽんも毎回泣くし、なんなら再放送でも泣く。小説だと辻村深月の「タマシイム・マシンの永遠」で号泣し、恩田陸の「私と踊って」も何度も読んでひっそり泣いた。断っておきますが全然読書家ではないのでたぶん何読んでも泣きます。

特に近年は深い愛情で結ばれた家族や人と動物なんかは本当に駄目で、明るい内容であればあるほど「いつか彼らにも永遠の別れが訪れてしまう」と思ってさめざめと泣くのだ。たぶん年を取って近しい人との別れを経験し、その悲しさとやるせなさ、寂しさを身を持って知ったからだろう。想像力は人よりある方だと自負しているので、ありとあらゆる場面を勝手に思い描いてはどんどん泣く。迷惑な人種であるが、心の勝手な動きゆえ容赦してほしい。

ちなみに、数年前に祖父が亡くなったことも全く心の整理ができていないので別の機会にきちんと書くつもりである。というかそれを書きたくてブログを始めたようなものだ。

重症だと思ったのは家族の好きなアーティスト(私はよく知らない)がスタジアムでライブをしている映像を見て泣いたことである。歌に感動したわけではない。アーティストの後ろで演奏するオーケストラや立派に組まれたステージ、機材を見て「たいへん多くのスタッフとミュージシャンが時間をかけてこの場を作り出したんだな」と思って涙を流した。家族に話すと困惑していた。誰目線なんだ。万物の保護者か。私も知りたい。

友人の結婚式で開始早々泣きすぎて、他の出席者(友人)が爆笑しながら泣き腫らした私を写真に撮ったこともある。新郎新婦も笑っていた。もはや芸の域かもしれない。でも決して「泣いたるで〜!!」と意気込んで泣いているわけではない。天賦の才…ということか。あれ、俺またなんかやっちゃいました?